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洋画

プラダを着た悪魔2

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本作は前作の魅力を受け継ぐどころか、自らの手でその輝きを徹底的に薄めてしまった「完全なる蛇足」である。
​前作が今なお名作として語り継がれる理由は、単にファッション業界を華やかに描いたからではない。「キャリアと人生の選択」「成功の代償」「女性と権力」「自分らしさとは何か」といった、第三波フェミニズムを根底に置いた普遍的なテーマがあったからだ。アンディの明確な内面的葛藤と成長、そしてスタイリッシュな映像が見事に噛み合っており、ファッション業界はあくまでそのテーマを描くための美しい舞台装置として機能していた。
​翻って本作はどうだろうか。「雑誌業界のデジタル化」「紙媒体の衰退」「Z世代の台頭」といった現代の変化が描かれてはいるものの、それらは単なる状況説明に過ぎない。デジタル化や業界の衰退は「題材」であって「テーマ」ではないのだ。「この現象を通して何を問いかけたいのか」という作品としての芯が完全に欠落しているため、物語を見終えても「誰がどう変わったのか」が全く印象に残らない。前作のような価値観の変容や成長を描くこともなく、眼の前の事象に翻弄される人物たちを、ただ綺麗な映像で眺めているだけの空虚な時間が流れていく。
​そして何より致命的だったのが、ミランダ・プリーストリーの描き方である。
前作の彼女は、内面のすべてを語らないからこそ圧倒的なカリスマ性と神秘性を保っていた。観客は彼女を完全に理解できないからこそ魅了されたのだ。しかし本作は、彼女の「人間味」を描こうと焦るあまり、単なる「時代に翻弄される人物」へと矮小化してしまった。時代の変化によって彼女が苦境に立たされる設定自体は否定しないが、そこから新たなドラマが生まれるわけでもなく、ただ伝説的キャラクターの威厳と魅力を削ぎ落としただけだった。
​なぜ、前作の美点をここまでことごとく潰し、これほどまでに薄っぺらい内容になってしまったのか。物語のあまりの空虚さを前に、私は一つの結論に行き着いた。
​これは、脚本家による制作陣への「反逆」である。
​「どれだけ素晴らしいものであっても、いつか必ず衰退する」——本作が真に描きたかったのは、その残酷な真理だ。そして驚くべきことに、『プラダを着た悪魔2』という映画の存在そのものが、自らのクオリティの低さをもってそのテーマを見事に体現しているのである。
​「完璧に完結した名作に、続編など作るべきではない」。
そう確信した脚本家が、商業主義で動く上層部への抵抗として意図的に内容を薄っぺらくし、前作の遺産が惨めに衰退していく様をメタ的に見せつけているのだ。だとするならば、この救いようのない蛇足感と中身の無さも、すべては計算し尽くされた壮大な皮肉に他ならない。
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